
乗組員や本船の安全が懸念されることを理由に、船長は紅海の通航を拒否して離路してもよいのでしょうか?離路できる場合、追加費用は誰が負担するのでしょうか?本稿では、紛争が続く紅海の通航に関してよく聞かれるこうした保険上の疑問について解説します。
Published 28 February 2024
海運業界はこの数年、かつて誰も予想しなかったほど戦争危険の問題を考えざるをえなくなっている、と言ってもよいでしょう。この分野での法律面の最も大きな出来事といえば、Polar号事件で先頃判決が出されたことではないでしょうか。この事件は海賊危険をめぐるものでしたが、一般的な戦争危険条項に含まれる危険にもそのまま関わってきます。
今回は、傭船契約(VOYWAR 2013やCONWARTIME 2013を摂取した契約、摂取していない契約の両方を含む)に基づく安全航海の問題に関して生じる疑問と、リスクの分担に関してPolar号事件の判決が与える影響について考えていきます。
2023年10月上旬、パレスチナのガザ地区を実効支配するハマスとイスラエルとの間で紛争が勃発しました。以降、11月末にかけて、フーシ派が商船への攻撃を始めます。当初は「イスラエルとの関連」がある船舶を狙うと表明していましたが、その意味するところは不透明で、イスラエルと無関係の船舶も多数攻撃を受けました。今年1月上旬には、フーシ派の拠点の空爆を米英両国が支援したことを受けて、両国と関連がある船舶も主要な標的となり、他の船舶が巻き添えを食う危険が高まっています。
こうした状況を受けて、Gardには、紅海で軍事活動が行われていることを理由にスエズ運河や紅海の通航を避けたい船主・傭船者・乗組員からの問い合わせが多数寄せられています。しかし、航行速度にもよりますが、迂回して喜望峰回りのルートを採れば10日程余計に時間がかかり、そのぶん費用も増すため、営利的に見れば、紅海の通航はやはり非常に捨てがたいかもしれません。一方で、紅海通航時に支払う戦争保険料も値上がりしているため、両方を比較して決めることになるでしょう。
船長には本船の安全を守る責任があるため、紅海経由のルートを避ける決定を下すかもしれません。決定は船長の合理的な判断に基づいて行われますが、離路によって発生する費用を誰が負担するかは通常、傭船契約の以下の条項によって変わってきます。
航路選定について合意する条項
戦争危険条項(契約に含まれている場合)
また、航路変更を決定した時点の事実の基盤(factual matrix)と、傭船契約締結日から危険性に変化や高まりがあったかどうかも非常に重要になります。
通航量の増え具合によっては、船長は「喜望峰回りのルートは『通常のルート』になったため、最短ルートの代わりとして選んでもよい」という主張もできるでしょう。または、判例The Hill Harmony [2001] 1 A.C. 638を根拠に、本船にとって危険であることを理由に紅海の通航を拒否することもできます。この場合、喜望峰回りが唯一の代替ルートとなります。いずれにしても、喜望峰回りのルートが「通常のルート」であることや、安全上の理由からこのルートを採る必要があることを証明するのは、船主の責任となります。
海運業界では、戦争危険により離路した場合の費用負担を明示した、ボルチック国際海運協議会(BIMCO)発行の戦争危険標準条項を何年も前から設けています。これは現在イスラエル・ガザ紛争による問題に直面している多くの当事者にとっては朗報でしょう。この戦争危険条項はBIMCOが改定を進めているところで、現在、定期傭船向けはCONWARTIME 2013、航海傭船向けはVOYWAR 2013が最新となっています。
注目すべきは、どちらの条項にも、本船、貨物、乗組員その他本船上の人員が戦争危険に「さらされうる(may be exposed)」場合の船主の立場を守る文言が含まれている点です。判例Triton Lark no. 1 LLR [2012] 151では、旧版のCONWARTIME 2004で使用されていた「may be or are likely to be exposed」という文言の解釈が問題となり、「危険にさらされる現実的なおそれ」を意味すると結論づけられました。CONWARTIME 2013の文言は、こうした解釈の相違を避けるために導入されたものです。2013年版の注記には、「あいまいさを避けるため、航行を続けるか否かの判断基準を修正した。危険度が高いと思われる場合でも、この修正文言があることで複雑なリスク分析が不要になるはずである」と書かれています。文言を修正したことによるリスク度やリスク評価への影響度合いについては、あいにくまだ見解が割れていますが、判断しやすくなったようには思われます。
CONWARTIME 2013の(b)条の定めに従えば、船長は、自身または船主の合理的判断により、本船、貨物、乗組員その他本船上の人員が戦争危険にさらされうる(may be exposed)と思われる場合、紅海/アデン湾の通航や当該地域にある港への寄港を拒否することができます。重要なのは、そのような戦争状態が傭船契約締結日に存在していたかその後に生じたかにかかわらず、また、本船に対する危険の重大な変化とみなされる条件を満たしていない場合でも、船長には拒否権があるという点です。
条項には明示されていませんが、船長に紅海の通航拒否権があるのだとすれば、それはつまり、傭船者には新たな航海指示を出す義務があり、その指示はほぼ間違いなく、現実的な唯一の代替ルートである喜望峰回りとなることを暗に示しているといえるでしょう。
VOYWAR 2013を摂取している航海傭船においても同様です。本船が船積みを開始している、または既に積載航海を始めていて、本船、貨物、乗組員その他本船上の人物が戦争危険にさらされうる(may be exposed)場合、船長は紅海/アデン湾の通航や当該地域にある港への寄港を拒否することができます。船長は代替ルートを採る旨を傭船者に通知しなければなりませんが、傭船者はそれに同意することは求められていません。なお、(d)条では、代替ルートを採った場合に発生する費用負担について明示しており、追加航海の距離が100海里を超えるときは、追加距離の割合に従って追加運賃を収受できるとしています。
CONWARTIME 2013には、危険な状況が傭船契約締結日に既に存在していた場合でも、船主や船長は条項で定められた権利を行使できるとする文言がありますが、VOYWARにはありません。先頃のPolar号事件の判例Herculito Maritime Ltd v. Gunvor International BV(The Polar )[2024] UKSC 2では、こうした文言がない場合、傭船契約の締結日以降にリスクの度合いや性質が大きく深刻化しなければ、当該権利を発動させることはできないと判断されています。
成約覚書(Fixture Recap)によっては、スエズ運河経由など特定のルートが決められていることがあります。そして、このような傭船契約条項が船荷証券に摂取されることもあります。こうした状況では、船主は特定のルートを航行する危険を許容することに最初の時点で合意しているため、契約上そのルートを航行する義務があります。したがって、本船が紅海の通航を拒否した場合、それは契約違反となり、余分にかかった時間と費用は船主が負担しなければなりません。この点については先日のPolar号事件判決でも検討され、最高裁は判例The Paiwan Wisdom [2012] 2 LR 416を踏襲しました。
しかしながら、上述のように、契約締結日以降に危険が変化している場合、船主はその危険を許容していないとみなされ、傭船者は喜望峰回りの航海で発生する費用の負担義務が生じる可能性があります。期間中に状況が大きく変化する長期傭船契約よりも、状況の量的変化が少ないと思われるトリップチャーターのほうが、船主がこの危険を許容する可能性は高くなるでしょう。
戦争危険条項がない場合に船主が頼りにできるのは、人命や財産の救助のため、または合理的な理由のために離路する権利を定めた条項です。一般的な契約書式であるNYPE 1993では、「海上において人命または財産を救助する目的で離路」することができるとしていますが、傭船者の指図に反して離路した場合は、第17条で定めるオフハイヤー事象となります。ただし上述のように、船長は、「別の通常ルートを航行したのであって離路ではない」、または「本船の安全が脅かされたため、ルートに関する傭船者からの使用指示を無視する権限が与えられた」(上述のHill Harmony号事件を参照)と主張できるかもしれません。いずれかの主張が通れば、本船はオンハイヤーのままとなるでしょう。ただし、航海傭船においては、離路費用は船主が負担しなければなりません。
危険性は、客観的な証拠に基づいて船ごとに個別に判断しなければなりません。また、利害関係者、旗国、所有者、特定の脅威にさらされている国々(今で言えば、イスラエル、英国、米国)との関係性、船種、実施可能な安全対策など、船独自の特徴を考慮する必要もあります。リスク特性は船によって大きく異なることもあるため、他の船がしているからといって、それを自船でもしてよいとは限りません。例えば、他の船が離路していても、その船は傭船契約で離路の自由が広く認められているのかもしれません。こうした船の船主は離路してもその費用を負担するリスクが非常に小さく、それどころか、離路によって経済的に大きなメリットを得ている可能性もあるのです。
各船で実施できる安全対策に関しては、米海軍などの機関から、夜間航行やAISのスイッチオフといったアドバイスがなされています。しかし、現在の紅海の状況はPolar号事件で検討された海賊の脅威とは大きく異なり、武装警備員を乗船させてもミサイルやドローン攻撃にほとんど効果はありません。状況は刻々と変化していくため、安全評価はその時点の状況を踏まえてケースバイケースで行う必要があります。評価に用いた証拠は、後々の詳しい検証に備えて残しておくべきです。
とはいえ、喜望峰回りのルートが「通常のルート」だという主張に頼りたいのであれば、他船の行動も非常に重要になってきます。これについては、喜望峰回りの船舶の数や種類をスエズ運河経由の船舶と比較した最新の情報が、数多くのリスクコンサルティング会社から提供されているので、参考にするとよいでしょう。
イスラエルの港自体が非安全港であることを示す証拠はありません。安全港保証は港に接近する場合を対象としたものであって、別の航海ルートがある場合は適用できないでしょう。これと同様に、港が非安全港だった場合に船主に揚地変更権を与える戦争危険条項の規定は、懸念が航行に関するものである場合には適用できないでしょう。
不可抗力(フォース・マジュール)条項は、英国法が関係する限りは契約上の純然たる救済策であり、慎重に遵守する必要があります。しかし実際のところ、本船が空荷でない限り、この条項はあまり役に立たないでしょう。既に積まれてしまった貨物の扱いをどうするかでさまざまな問題が生じるほか、船荷証券を発行しているのに貨物を引き渡さなければ、また別のリスクにさらされてしまうからです。
フラストレーションは、英国法では契約の履行環境が締結時と大きく変わらないと成立しないため、めったに適用されません。距離の長いルートを採るなどして契約履行にかかる費用が増したとしても、それでは契約のフラストレーションは成立しません。仮に、積荷が腐りやすく時間の影響を受けやすいものであれば、喜望峰を回ることによる航海時間の延長は、傭船契約やそれに関連する船荷証券のフラストレーションの成立理由になるかもしれません。しかし、ばら積み輸送される貨物の大半は、たとえ腐りやすいものであっても時間の影響はそこまで受けないため、実際にはフラストレーションが成立する可能性は低いと思われます。
この場合、船主は戦争保険における保険金請求ができるでしょう。傭船者が気になるのは、その後船主から代位求償されるかどうかという点です。最近まで、傭船者は戦争保険の割増保険料を支払えば、リスク分担の解決策であるいわゆる「Insurance Code」が成立し、代位求償を免れると考えられていました。しかし、Insurance Codeが有効とされることはめったになく、割増保険料の支払者は保険料を支払っただけでその恩恵を受けられるわけではない、ということがPolar号事件の最高裁判決で明確になりました。つまり、傭船者は戦争保険の割増保険料を支払っても、起こりうる戦争危険の結果責任を免れることはできないのです。
船主の戦争保険の共同被保険者に指名されているのであれば代位求償を免れやすくなりますが、それでも「Insurance Code」の存在を決定づける根拠にはなりません。保険でカバーされる損失・損害の回収権や代位求償権の排除を明示した条項があれば、傭船者は請求を免れるでしょうが、船主からするとこうした条項は非常に重大であるため、契約締結に際しては保険者の同意が必要になると思われます。そのため傭船者は、紅海の通航に際して、自らが保険上どのような立場にあるのか、独自に戦争保険に加入すべきかを考えたほうがよいでしょう。
Gardでは、船体損傷などをカバーする保険料固定の傭船者責任保険を提供しており、この保険では戦争危険による損傷もカバー対象となります。なお、Non-poolableの再保険者からの解除通知があったことを受けて、Gardは解除通知を出しました。通知は2024年2月20日正午(グリニッジ標準時)に発効し、紅海の特定水域における戦争保険カバーは解除されましたが、戦争危険に対応するために買い戻し保険カバーを提供しています。詳しくは担当者までお問い合わせください。